「万引き家族」から考える「不思議の国にっぽん」2019/Jan/18

ネタバレおおいに含みます。すみません。。。

カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルム・ドールを受賞した是枝監督の「万引き家族」。
昨年12月よりオランダでも上映が始まりました。
1月下旬となった現在でも各地で上映が延長されており、レビューの評価は軒並み高い印象。
ちなみに「万引き家族」はIMDb(インターネット・ムービー・データベース)のランキングにおいて2018年度にオランダで公開された全映画の中では7位にランクインしているらしいです。

自分的にはかなり衝撃的な映画体験だったのでつい2回劇場に足を運んでしまったのですが・・・
「万引き家族」は本当によく出来ていることにうならされました。

「普通の生活」から外れて生きる人々の
それぞれに秘められた謎が明らかになっていくようでありながらも

  • 日本特有の社会背景
  • 一瞬とごく一面を切り取ることしかできないあやふやな「ことば」
  • ことばにならない表情や仕草

が絡み合い「一見理由がわかったような気にはなる」ものの・・・様々な解釈の余地があることは否めなく。
人物の過去、ラストシーンのその後や、監督の意図も含め、想像&推理をするとキリがないのです。

観客の推理想像にかなり印象が左右されると思われるこの映画、
「日本の隠れた一面」
「日本でセーフティーネットから外れた貧困状態の人達がどうやって生きていくのか」

的な表現がオランダメディアの映画紹介文の中で見られていましたが、
映画に現れる「社会問題」そしてそれを元に紡ぎ出されるストーリー背景が日本の社会に詳しくない人に果たして伝わるものなのだろうか・・・?

ついつい余計な視点でも考えてしまった次第です。
そんなわけで。
これはもやもやが残るのでは・・・?と思われる「日本の謎」を勝手な「外の人」視点でまとめてみようと思います。

理解不能:家族に、そして社会にネグレクトされる子ども達

中東からオランダに移住した友人のエピソード。
親戚の結婚式のため娘に学校を休ませて一緒にイギリスに行った際、後から法廷に呼ばれて罰金が課されたというのです。
本来であれば事前に学校に申請し、承認のサインをもらわなければならないのですが、その厳罰性を知らなかった彼女は学校に電話で休む理由を伝えていただけでした。
その話を聞いて「いや、そこまでする必要ある?」と青ざめたのですが理由としては明快で。

「子どもの教育を受ける権利を侵害してはならない。」

ましてや親であれば厳罰、ということです。
これはヨーロッパではオランダに限らない話です。

「こども」に対する考え方、態度について日本とオランダの温度差はいつも気になるところなのですが・・・
オランダにいて感じるのは「こども」が社会の中でとても大事にされていることです。
こどもがいずれ大人になり、社会を作ること。
大人も昔はすべてこどもだったこと。
この認識が常にあるからなのか、大人の子どもへの視線は柔らかく、街でも子連れでいると親切にされることがとても多いです。
小さい子どもの路上放置や、過度に見える叱責、虐待の懸念を目撃されれば間違いなく警察が呼ばれます。

「万引き家族」には高校生含む3人のこどもが出てくるのですが

  • 虐待され半屋外に放置され、行方不明になっているはずだが捜索願が出されていないゆり
  • 同じく赤ちゃんのころに行方不明になっているはずだが捜索願が出されていない祥太
  • 家出しているのに「留学中」と体裁の良い理由をつけられ家族に存在を抹消されている亜紀

3人もが「血縁の家族」からは存在をなかったことにされており、
ゆりに置いては特にその環境の過酷さが際立つのですが、何度も屋外に放置されていることを目撃されていながら手を差し伸べるものは誰もいません(治以外には)。

家族からも社会からも子どもが見放される状態。
「親の所有物」であり、愛されるのも捨てられるのも親の一存でしかないようにも見える子どもたち。
「こどもの生きる権利、教育を受ける権利」が機能していないように見えるこの状態は先進国の人権意識を持ってすれば「理解不能」なのではないでしょうか。

謎でしかない:「不毛な快楽」とその虜となる人々

頭がおかしくなるような騒音とケバケバしさの中でただ目前の箱を見つめた人たちがひしめく謎の部屋。
日本ではどこにでもあるパチンコ屋の風景・・・ですが

「なぜそこまでうるさくてケバケバしいところにいられるの?」
「ギャンブルだよね? 損するほうが絶対多いよね?」
「そもそも・・・何が楽しいの?」

興味のない自分にとっては「狂気的でコミカル」な謎にしか見えません。

  • 「逃避したい、忘れたい現実」
  • 「生産性や達成感を感じることがない日常」
  • 「挑戦心の行き先がどこにもない日常」
  • 「散財・浪費によって得られる ”お金を自由に扱っているような” まやかしの爽快感= 常につきまとう金銭的苦悩」

・・・これらの背景を推察することによって、なぜこのほとんどの人にとっては非生産的な謎の遊び(ギャンブル)に庶民がはまるのか、はうっすら理解できる気もするのですが、客観的な目線で見れば、ただただ不思議に見えるのではないでしょうか。
そして「国外から遊びに来る富裕層」ではなく「自国の庶民」からなけなしのお金を搾り取ってより貧しくするビジネスが普通に存在することは国策としてありえない、というのは普通の見解だと思われます。
(ちなみにオランダは「国外の人がお金を落としていくビジネス」を作るのがすごく上手いです。)

治は幼い祥太を誘拐したのか、助けたのか。

「親がパチンコに行っている間に駐車場車内に放置された子どもが亡くなる」事件が繰り返し日本で起こっていることについて、映画の中では語られていません。
この背景を知らない視聴者にとっては祥太の身の上についてもピンとはこないだろうな、とモヤモヤした次第です。

なんでそーなる:「働く」をめぐるしわよせ構造

治が働く現場のシーンはなかなかにシュールです。

バンに詰め込まれ気の抜けた様相で運ばれていく日雇い作業員達。
プロフェッショナル感はおろか、まるで生気を感じられない作業員達の準備体操。
高層マンションの建築現場で治は仕事をこなしているのだか、ぶらぶらしてるのかよくわかりません。

そんな現場で怪我をする治。
労災が降りるかも?と浮足立つものの結局おりません。
本来は日雇い、アルバイト、職種を限らず、法律では全ての労働者に労災は適用される・・・はずであり、現場を監督する会社はおそらく雇用を届けずにブラックな業務を行っているのがうかがえます。

この会社の現場監督を見て信代は言うのです。
「いいなあ 正社員 憧れちゃうなあ」
職種でもなく、待遇でもなく。
「正社員」と「非正規雇用」の間にある圧倒的な社会的立場の差。
同じ仕事をしていても「正社員」の生活を守るため、「非正規雇用」は容赦なく切り捨てられます。(信代もしかり)

「働いて対価を得る」ことの本質の欠如。
川上から川下へ、ただただ仕事が流されて中間搾取されていくビジネスがまかり通る中「労働の内容やプロフェッショナル性」は二の次で。

仕事を終わらせなければならない、利益を出さなければならない。
本来であれば効率化やイノベーションを持って取り組むべきところで「とにかく安くやってくれる人を探して利益をあげる」ビジネスの創出でなんとか経済の現状維持を実現してきた・・・

・・・そんな背景まではもちろん映画の中で説明されません。

オランダが積極的にワークシェアリングを推進、
正規雇用、非正規雇用の格差を撤廃することに注力してきた国なのは割と知られている話ですが、
「働く状態による格差」が少なく労働者の権利が守られている一方で
「何ができるか」によって生じる格差はとても高い
と常々感じています。
専門の職種につくためには専門の学位をとっているのは当たり前です。
経験を積むために数年インターン、というのも普通。
雇用した側は「雇用者を育てる義務」があるためそのための手当も厚く、働く側もスキルを上げていくのが当然です。

技術と能力がなければ生きていけないか、というとそうではないのですが・・・
技術と能力が評価されるのが普通、な世界においては(ごく当たり前といえば当たり前ですが)

「適正・能力を問わずとりあえずは働けてしまう図」も
「仕事内容が同じでも待遇に天地の差がある(そして文句も言わない)図」も
「明らかに衰退、破綻するようにしか見えないシステム」も

いろいろな点でよくわからないのでは、と思われたのであります。

実際の話・・・ではないよね?:日常に背徳感なく出現する性風俗の存在感

亜紀は生活費とこづかいを稼ぐためにJKストリップ(?どう言えばいいんでしょうね・・・)に出入りしています。
もちろん一般的な高校生とはかけ離れた役、なのはわかっているとしても。
亜紀の働くシーン中、映画館内にはなんともいえない驚きと好奇心、気まずさが漂い・・・なんとも息苦しい時間ではありました。

個人の性的嗜好について、人に迷惑をかけない限り個人の自由であるとはいえ。
精神的に成熟していない、世の中について知識と経験が浅い未成年をいい年こいた大人が欲望のはけ口の対象として見ること自体倫理的にアウトであって。
それがビジネスにされ、最も遠ざけておくべき未成年が小金欲しさに食い物にされる・・・のは異常であり違法です。

その激しくアウトなはずの風俗店の控室で高校生らしき(?)若者達が全く悪びれることなく出番を待つ図や、カジュアルにそのアルバイトについて初枝と亜紀が談笑するシーン。

明らかに怪しげな学生向け高収入アルバイトの宣伝カーが街を徘徊し、
企業の担当者にとって「夜の接待」は珍しいものではなく、
コンビニにポルノ誌が堂々と置かれ、
バラエティー番組ではタレントの「枕営業」的侮蔑発言と大笑いがまるで面白いシーンであるかのように放映される・・・

そんな現状を目にしている日本人から見れば、映画でちらちらと描かれる「清々しいほど倫理観の欠如した日常の片隅」にそれほど違和感は感じません(ほとほと嫌気がさしますが)。
でも日本以外ではどうでしょう・・・コミカルに見えると同時に信じがたく、ただただ気持ち悪く思う人も多いのではないでしょうか。

・・・いろいろ吐き出し始めるとついつい長くなりました・・・
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!(息切れ気味)

・・・長々と書いたけど、映画の本題は社会問題そのものではない

「万引き家族」は本当につくづくすごいなと何度も感心するのですが・・・

・仕事論的視点
・ビジネス論的視点
・社会と子ども論的視点
・貧困を考える視点
・ジェンダー的視点
・家族の本質、家族のありかた的視点

「切り取って考え出すと止まらない」議論の要素が満載で。
見えないところを想像させるヒントが緻密に散りばめられているのを読み解くパズル的な面白さもあります。
主演俳優達の自然体の演技も素晴らしく。
(子役も素晴らしいのですが、特に光るのはベテラン陣。安藤サクラ、リリー・フランキー、そして樹木希林の存在感は凄まじいです。)

でも世界をうならせ、カンヌ映画祭のパルムドールの栄光を勝ち取ったすばらしさの本質はおそらくそこではないのでしょう。

この映画のテーマは「家族」そして「絆」と表現されることが多いのですが・・・
登場人物達が求めたささやかな「家族の形」は深い絆があるかどうかに関係なく、泡のように消えていきます。
理不尽で不平等な社会の中で、絆は無力でありそのエンディングは絶望的です。
それでも、形状や損得、失うことすら歯牙にもかけない純粋な愛に私達は感動し、境遇に完全に凌駕されるわけではない自我と正義感の芽生え、愛情の記憶がもたらす影響、に絶望感の中にもかすかな希望の光を感じとることもできます。

多くの偉大な映画がそうであるように「万引き家族」は人間賛歌であり、日本の闇的な面と同時に、総じて気優しく情深い、繊細な日本人の姿も描き出しているのです。

政治や社会問題に対して少し発言しようものなら袋叩きにあわされて、仲良く奈落の底に沈みましょうよとなぜか庶民同士が足を引っ張りあう不思議の国にっぽん。
かく言う自分もこんなことを書くと刺客が送られてくるのでは・・・とビクビクしている気の小さい庶民ですが。。。

そんな内輪揉めも現状を直視させまいとする圧力も。
圧倒的な高さで華麗に飛び越えて「世界の是枝」と言わしめたのは偉業と言わずに何と言うべきか・・

自分の貧困なボキャブラリーではとうてい表現できないのですが、是枝監督、映画を実現させた全ての俳優、スタッフの凄さにただただ感嘆して止まないのです。

長々と、そしてネタバレおよび感情的な感想にて失礼ながら。
オランダではもうしばらく上映が続きそう。
DVDも出ているらしいのでまだ観ていない方はぜひ!観て欲しいと思います。

2019/Jan/18
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