新鋭、完全無料、そして謎のプログラミングスクール 42(CODAM)、4週間の入学試験 Piscine(ピシン)の衝撃。2020/Sep/15
当ブログで以前紹介したことがあるのですが、パリを拠点に世界に数を増やしつつあるプログラミングスクール42、そのオランダ校がCODAMです。
(ちなみに東京にも2020年に開校しました。)
学費無料、先生がいないプログラミングスクール。42の系列校、CODAM(アムステルダム)をのぞいてきた
「全ての人に教育のチャンスを」のコンセプト、企業と市のバックアップにより費用は一切無料、数百台ものiMacを完備した贅沢な学習環境(通常時は24時間開校)、先生は不在、生徒同士で教え合う?斬新な教育手法・・・
募る好奇心に加えて、オランダで仕事が果たしてできるのかとの悩みと焦りもあり・・・4週間にわたる入学試験 Piscine(ピシン)に思いきって応募したのが昨年の秋頃です。
ちなみに当方、四十路、Webの仕事に携わりつつもプログラミングをきちんと学んだ経験なし、英語力はなんとかコミュニケーションできる程度、数字は苦手。
・・・色々無理感しかありません・・・
4週間におよぶ入学試験 Piscine (ピシン:フランス語でスイミングプールのこと)については、参加者が「寝食を忘れて課題に励むことになる」と説明会で聞いていました。
検索すると「ハードすぎて笑った」「めちゃくちゃしんどい」「でも楽しい」
そんな内容がほとんどです。
上述の最弱カードで応募するにはやはり葛藤があったのですが、「やってみたらえーやん」とフルタイムで働きながらもチビの面倒をみることを快諾してくれた相方と、説明会時のスタッフの一言が背中を押しました。
しんどくて楽しい? そんなことが起こりうるのか・・・??
コロナ自粛の影響が続く8月、通勤する人はめっきり減り、ほとんどの大学や成人向けの教育機関はリモート授業に切り替わっている中で、今季最初の Piscine が開始されました。
朝6時半の列車で学校に通い、12〜14時間を過ごして帰る日々・・・ヨレヨレになりつつなんとか4週間を終えての感想。
笑ってしまうほどハードだけど最高の体験、でした。
(↑全く新鮮味がない感想なのですが・・・そうとしかいいようがない)
少し経った今でも、あれは夢だったのかと思えるほどで、その不思議な状態を語ることはできない気がします。
でもこの「全く新しい教育機関」が掲げるコンセプト、運営手法は斬新でありつつも意外にも人間に近いものであり、「テクノロジーと人」「社会、教育」におけるちょっとした未来の光のようなものを見たような気がしているのです。
そんなわけで、すっかり久々のブログ更新となるのですが、42(CODAM)、そしてPiscineに参加して受けた衝撃について書いてみたいと思います。
Piscine、および42(CODAM)が何だかぶっとんでいた、という個人的感想です。 受験の参考になる情報はありませんので悪しからず・・・
「Piscineでは、あなたが新しいあなたに出会うことを断言するわ」
取材目的で訪れた説明会時、スタッフのこの一言は今でも妙に鮮明に覚えています。
いい年だし、子供といる時間が必要だし、仕事が全くないわけではないし、自分には無理だと思う・・・「あなたは応募しないの?」と聞かれた時、モゴモゴと自分はそんなことを答えていました。
自分の半分くらいの年齢と予測されるスタッフさんはそれに対し、心底驚いた様子で
「どうして? 興味があるんでしょ?なぜできないと思うの?」
そして前述の言葉が続くのです。
説明会の帰り道、彼女があまりにも確信に満ちた様子だったのが気になって気になって・・・
「なぜできないと思うの?」という言葉がリフレインしていました。
そして数日後にはオンラインテストを受け、再度の説明会を経て4週間の試験に応募していたのでした。
話は少しそれますが、オランダの42(CODAM)では、ジェンダーギャップの是正に力を入れていることを公言しています。入学試験の定員については男性と女性の割合をきっちり半々にする、ということで昨年夏の段階で男性の2020年の応募枠は早々に埋まってしまってキャンセル待ちかつ来年度枠となっているのに対し、女性の枠はまだ応募可能、そんな状況でした。
自分が応募した当初は女性に向けた広告をしばしば目にしましたし、女性限定の説明会なども行われていました。
人気かつ無料のプログラミングスクールがプログラミングへの興味がまだ希薄かもしれない女性をわざわざ誘致する(男性志願者を後にまわしてまで)ということがとても珍しいように感じたので、説明会時に目の前にいた若い男性スタッフにすごく興味深いと伝えると
「プログラマーは女性よりも男性に向いた職業」というイメージ、固定観念自体がこれまでに社会の中で培われた格差であり、女性の志願者が圧倒的に少ないのはおかしなことなんだ。これは積極的に変えていく努力をしなければ変わらない。そのためせめて入り口である試験の機会は均等にするようにしているんだ。
そんな返答が返ってきました。
ただしこの男女比の調整は受験の参加においてのみで、選抜の判断において男女比が合否を左右することはないとのことです。
・・・すごくまっとうだけど、わざわざ投資してまではなかなかしないことを実践するんだな・・・
と、その時とても感心したのですが、「綺麗事にすらみえる理想」を「なぜできないと思うのか」と思わせる妙にポジティブな力、はこの学校の至るところで働いていたような気がします。
そしてPiscineが始まった・・・時間が消える感覚とランナーズハイ
コロナ自粛が明けて間もない頃、開催延期の話も出ていた中で、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、通常であれば24時間開いている学校を平日の夜11時から朝7時までは閉めるという条件の元開催する連絡をもらいました。(普通は24時間開いてる・・・それだけでもなんとも尋常ではない感があります・・・)
もしかするとオンライン開催などもありえるのかと思っていたのですが・・・実際始まってみて「オンラインでは実現しえない」ことを目の当たりにすることになるのでした。
追記:covid-19の再拡大の影響により、他の国ではオンラインでの開催のほうが多いようです。 オランダの教育機関では現在のところ全面的にオンライン移行しているわけではありません。(時間の問題かもしれませんが・・・) 今回のPiscineは頻繁な手の消毒、キーボードやマウスの消毒、1,5mのソーシャルディスタンスの遵守など、かなり慎重に行われていたことを補足しておきます。
Piscineの内容は4週間、他の参加者と共に協業しあって学び、課題をクリアしていくというものです。 テストとグループワークをこなしつつ、最終日には8時間に及ぶテストがあり、終了となります。(学校によって異なるかもしれません)
選抜方法と選考基準は非公開。 1つだけ選考基準として明言されていたのは「人を助けること」です。
実際に何をしていたかについては知ってしまうと面白味がなくなるので書けないのですが「なぜそこまでモチベーションが上がったのか」は謎すぎてやはり夢だったのかと思えるほどです。
「あれもこれもやらなくちゃ!と思って眠れなかった・・・」
「夢の中でコード書いてた」
こういった会話があちこちで交わされます。
好きな時間に来て好きな時間に帰ればよい、全ては自由判断に委ねられているのですが・・・
受験なのでやる気があるのは当然だとしても「予想外のスイッチが入り、クレイジーな時間感覚で学習に身を投じる」人達が周りを占めていきます。
気がつけば真夜中、やってもやっても追いつかない焦りはあれど、不思議に楽しい・・・ランナーズハイと言えるような妙な感覚に陥るのです。
(一方で頑張りすぎて体調を崩す人も出てきます・・・体調管理、大事です)
「仲間を助けつつ学ぶこと」が命題になった社会では何が起こるのか
自分が生きてきた中で、そしてこれからも「親切であること、他人を助けること」が至上命題とされる環境に出会うことはもう二度とないのではと思います。 そこでは慣れていなかろうが、偽善的に思えて気持ちが悪かろうが、協力的で親切でなければなりません。
とはいえ、人の時間を奪うのは申し訳ないもので・・・自分は助けてもらってばかりでいつもそれを申し訳なく思っていたのですが、
「わからなかったら悩まずに聞け。 誰かに説明をするということ自体がその人の学習への理解を深めている、助けられることは同時に相手を助けているんだ。」
よく近くに座っていた紳士ピシナーのこの言葉に随分救われました。
それにしても心の中で「神か!」と手を合わせる事態に何度遭遇したことか・・・。
わからないことが多すぎる、まさに溺れているような環境下で、学習においても、メンタル的な点においても、爽やかに手を差し伸べてくれる人の多さとありがたさに驚愕する毎日でした。
親切で思いやり深い人が元々大半を占めているようにも見えるのですが、相手の理解が自分より進んでいようが遅れていようが、他人の「考え方の違い」や「良いところ」を積極的に探すことが自分の学びとなる・・・そんな認識が自然に浸透していたようにも思います。
「他人より秀でること」が価値を持たない、このかなり特殊ともいえる環境でしばらく経つと何が起こるのか・・・
・・・書きたいのですがやめておきます。これはぜひ実際に体験してほしいです。(すみません・・・)
万人に適したものではないのは確かですが、Piscineを泳ぎきった参加者が口を揃えて「最高の体験だった」と言うのがなぜなのか。
本当に体験しないと伝わらないと思います。 傍から見ると、ただみんなで勉強してるだけなのですけどね・・・
42に惹かれる人々、42で学んだ人々はどこへ行くのか
フランスの大富豪が天才の友人のアイデアを元に設立したと言われている42。
「優秀なエンジニアが増えることで産業が伸び、失業率が減り、国としての競争力が上がる」
との現実的な目的も明確に示唆しつつ
「学歴や財力などのバックグラウンドが左右しない、平等な教育のチャンスを」
といった理想論的コンセプトを掲げています。
綺麗事すぎるようにも見えますし、選抜があるという時点で全ての人に平等にチャンスがあるとは言い切れないかもしれません。それでも実際にPiscineを体験してみると、圧倒的な財力を背景に成り立つ学校が、競争し、搾取する、独占することで豊かになるのとは全く対極にある思想に基づいていることがよくわかるのです。
コミュニケーション能力の高さ、というスキル的な言い方もできるのかもしれませんが、それよりも「善意」的な何か、抽象的で人間的な意志がもたらす力を信じる形でITの教育システムが構成されている・・・このように見えたことがひたすら感慨深く、これだけでも参加してよかったとつくづく思った次第です。
資本主義の元、格差と分断が激化する世界の中で、テクノロジーを手中にする人には「自己の利益をひたすら追い求める人」ではなく「善い人」であって欲しい・・・というかそうでないと地球もうだめじゃね?と思うのですが・・・
このなんだか突拍子のない学校、そしてそこで学ぶ人々は、もしかすると「理想的過ぎる理想論」を語りつつ本当にそれを実現するかもしれない、そんなふうに思うのであります。
「どうしてできないと思うの?」 と。